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2代板谷 宮吉(いたや みやきち、1885年(明治18年)5月16日〔『北海道人物・人材情報リスト 2015』第1巻、8頁。〕 - 1962年(昭和37年)12月22日〔『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』187頁。〕)は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員、小樽市長。旧名・真吉〔。 ==経歴== 北海道出身。実業家、初代・宮吉の長男として生まれる〔『47都道府県別 日本の地方財閥』26-27頁。〕。1909年、早稲田大学商科を卒業〔。 1912年、板谷商船取締役に就任〔。1924年、先代の死去により家督を相続して2代・宮吉を襲名し、板谷商船社長、樺太銀行頭取に就任〔〔『日本の歴代市長』第1巻、61頁。〕。その他、板谷生命保険社長、 (株) 十合呉服店会長、北海貯蓄銀行頭取、尾張時計監査役、黒姫汽船 (資) 代表社員、肥料調査委員会委員、北海道拓殖計画調査会委員などを務めた〔。 1926年6月25日、貴族院多額納税者議員に就任し〔『官報』第4152号、大正15年6月26日。〕、1947年5月2日の貴族院廃止まで在任した〔。また、1933年12月11日、小樽市長に就任し、1937年12月10日まで在任〔。港湾施設の整備、朝里川上水道工事の実施、失業事業の拡充、競技場の設置、開道70周年記念大博覧会の開催などの施策を推進し、小樽市の振興に大きく貢献した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「板谷宮吉 (2代)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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